HEREAFTER 2012 4 1
クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」をDVDで見ました。
ここでいう「ヒアアフター」とは、「死後の世界」という意味です。
イーストウッド監督の作品としては、異色の存在と言えるかもしれません。
映画を見て思うことは、
「死後の世界」をキリスト教国で口にすると、
時には変な目で見られたり、
時には名声を失う場合があることに対して、
そして深い悩みを抱えてしまうことに対して、
誠に残念な思いと悲しみがあります。
戦うべきか、見守るべきか。
イエスキリストの人生(伝道)が3年で終わらなければ、
このようなキリスト教徒の悩みはなかったかもしれません。
3年は、あまりにも短すぎたのです。
本来であれば、イエスキリストは、
死後の世界についても説くはずだったのです。
十字架を背負い歩く姿を見て、
戦うべきか、見守るべきか、今なお結論は出ていません。
クリスマス 2011 12 11
クリスマスが近いので、
キリスト教のことを書きましょう。
「我、すでに世に勝てり」(私は、すでに世に勝っている)
しかし、多くの人は、こう思ったかもしれません。
イエスキリストが最後の時を迎えた時に、
弟子たちは、すべて逃げてしまい、一人になってしまったのです。
「それでも世に勝ったのか」と。
しかし、「永遠に続く」と思われたローマ帝国も、
歴史の彼方に消えてゆき、
荒れ野にて、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と、
イエスが述べたキリスト教は、21世紀においても輝いています。
あれから、2000年の時が過ぎました。
その間、地球を覆うほどの大帝国が、いくつか出現しましたが、
それは、2000年の歴史から見れば、
時々、川面に浮かぶ泡のようなものだったかもしれません。
神の王国とは何か。
永遠の生命とは何か。
すでに答えが出ていると思います。
歴史は、「キリストの勝利」で終わっているのです。
イエスは、この2000年の歴史をどう眺めたのでしょうか。
今なお、イエスの活動は続く。
そして、次の2000年は、「荒れ野」とは宇宙のことです。
魂の存在形式 2010 12 23
宇宙における魂の存在形式は、三つのタイプがあると思います。
魂のみで存在し、進化を遂げるグループ。
魂が主で、必要に応じて物質化するグループ。
魂が肉体を利用するグループ(生まれ変わりシステム)。
これは、壮大な社会実験、いや宇宙における実験だと思います。
どのグループにおいて、魂の進化が早いか。
さらに、魂には、大きさの違いがあります。
たとえば、人間サイズの魂から巨大な魂まであります。
多くの人は、イエスキリストというと、
「ナザレのイエス」を連想するでしょうが、
それは、あまりにも人間という形にこだわった見方です。
ナザレのイエスは、魂のほんの一部です。
多くの人に認識してもらうために、
人間という姿形を見せることがありますが、
イエスの魂の本当の大きさは、数kmというサイズです。
驚いた人が多いと思いますが、
このくらいの大きさがないと、
数十億人のキリスト教徒を支えることはできないのです。
魂というより、巨大なエネルギー存在と言った方がよいかもしれません。
人類へ「愛」というエネルギーを供給している存在です。
実は、イエスの弟子には、この巨大な光の一部を見た人がいるはずです。
クリスマス Christmas 2005 12 25
現代ほど、「愛」が誤解されている時代はないと思います。
自分しか愛せない人は、最も小さい人です。
愛は、発展していくのです。
夫や妻を愛し、
子供を愛し、
地域社会を愛し、
国を愛し、
世界を愛する。
そして、地球を愛する。
愛が発展する時、人間も大きくなっていくのです。